世界経済共同体党

裁判員制度は中止すべき
 
   裁判とは、罪・犯罪の真実・無実の確実な判定と、正当な量刑を確実に判定することが目的である。すなわち、裁判とは不確実性の排除が目的でなければいけない。「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の鉄則をはじめとして、刑事裁判制度自体がそうなっている。

 しかし、裁判員制度による裁判にはその不確実性が入り込む余地が大きいと言わざるを得ない。理由は当然、裁判員らが素人であるからである。そして、一回限りの裁判であるから尚更である。検察側と弁護側の挙証その他の裁判内容に対して、その事実認定を客観的にできるかの問題である。複雑怪奇極まる事件もあり、無理であろう。この裁判員の判決の故に無罪が有罪になり、しかも死刑になる判決が出ることが考えられる。人、一人の命が冤罪によって失われるということである。あっていい訳がない。当然、その逆も考えられる。本来、死刑になるべき殺人犯が、述べた裁判員の判決の故に無罪となることである。人、一人の命にさえ関わるこれらの裁判員制度による裁判の不確実性の可能性の方が、裁判員制度の目的、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上。(裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第一条)」より重大である。裁判員制度の目的は他の方法でも補える。しかし、裁判員の資質は補えない。よって、裁判員制度は中止すべきである。

 尚、裁判員制度は司法制度改革の一環となっているが、刑事裁判の不確実性の排除の第一の鉄則「疑わしきは被告人の利益に」の危機が言われている。その危機の解消こそが、司法問題解決の第一でなければいけない。それを司法制度改革自体と、裁判官・検事・弁護士各自の職務の正義の追及により行うべきである。

 罪・犯罪に対する司法について語るならば、「何故、罪・犯罪が発生するのか。」「罪・犯罪をなくするにはどうすればいいか。」を問うことを忘れてはいけない。それは罪・犯罪の原因は何かを見定めることである。その原因は現代社会そのものである。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済社会と、「自己中心・好き勝手・やりたい放題」を止められない民主主義社会である。その社会により、人間一人びとりの人間の中身という人格がだめにされ・破壊されて、全ての罪・犯罪が起こっていると言ってよい。よって、その二つの社会を、唯一神又吉イエスの公平・平等主義社会と、唯一神又吉イエスの公平・平等の原理・原則による共同の所有・生産・消費制経済社会にする。その社会の仕事は人間本来の農林漁業中心となる。それが唯一神又吉イエスの世界経済共同体日本・世界経済共同体である。そこに於いて、罪・犯罪はなくなる。のみならず、その唯一神又吉イエスの世界経済共同体日本・世界経済共同体に、日本人をはじめ人類一人びとりの本来の絶対の幸福がある。

 尚、2007年3月20日の「死刑廃止論について」と、2008年3月27日の「死刑問題と、日本の100人以上の未執行死刑囚問題」も読んで下さい。



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