世界経済共同体党

石破防衛相辞任すべき、イージス艦「あたご」の事故について
 
   2月19日の海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」と漁船の衝突事故は、大きな波紋を広げた。

〔1〕何故あのような事故が起こったのか。事故のあった海域は船舶航行の混雑を極めるところであることは周知の事実。その海域にイージス艦は、艦長は仮眠中で指揮を取らず、自動操舵のまま航行してきた。また、その時の現場は夜明け前ではあるが凪の状態であり、必要な注意・監視を行えば、十分に安全航行ができた筈である。ところが、イージス艦は衝突直前まで自動操舵のままで、ようやくそれをやめて、艦をストップさせるために艦の推進を前進から後進に変えている。イージス艦に危険回避義務があったのに最後まで舵は切られていない。回避義務は普通は右に回避することになっている。

 以上から、今回の事故は結果として、海上自衛隊の最新鋭イージス艦という巨大船のそこのけそこのけの驕り・高ぶりと、その結果が何を招くかを察知し得ないところの油断・怠慢・たるみという使命感・責任感のなさとなって現れている。

 防衛省・自衛隊が不祥事続きだが、今回の事故を通しても、防衛省・自衛隊という国防・安全保障・危機管理組織の秩序・統制の確立が不可欠であることがわかろう。その確立した秩序・統制の内容の具体事例の一つびとつがきちんと伝達・実行されるようにならなければいけない。それが、日々の活動でなされなければいけないところが防衛省・自衛隊である。その秩序・統制の運用の具体事例の一つびとつに対するチェック機能が十二分に発揮できるかどうかがカギである。チェック者は防衛大臣をはじめとして末端の部署に至るまでの長である。そして、防衛大臣から末端の部署の長に至るまでの、それぞれの上下間のスムーズなチェック意思疎通を常時可能にすることが最重要事である。そのことを通して、防衛大臣から末端の職員・隊員までが正しく・しっかりと繋がり、そこから必要な課題も出てきて、また、それを遂行できるようにすることである。

 更には、次のことを言いたい。今回の事故にも世相が反映していることは否めない。世相とは、唯一神又吉イエス言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と、「自己中心・好き勝手・やりたい放題」を止められない民主主義から来ている。人間・国民としての規範の道徳や物のけじめがなくなっている。自分のためには何でもしようとする。何でもする。逆にするべきことは全うできない。すなわち、使命感や責任感がなくなって来ている。そういう空気・世相になっている。それが、規範・規律の府、自衛隊や警察にも及んでいるということだ。その現在の世相は、唯一神又吉イエスの世界経済共同体日本・世界経済共同体の物事の真実・真理・正義によってしか正せない。その唯一神又吉イエスは日本に再臨し、日本の首相を務める。よって、日本はそれまで、特に規範・規律の府、自衛隊・警察等が、述べている世相のいい加減な壁を乗り越えてもらいたい。それを求めるものである。

〔2〕防衛相石破茂は辞任すべきである。理由は次の通り。

(1)イージス艦「あたご」のあれだけのミス状況の事故に対して、また、事故後の防衛省・海上自衛隊の対応の混乱に対して、防衛大臣としての一般的責任。

(2)事故当日の2月19日、事故発生から約6時間後の、午前10時頃、「あたご」の航海長が海上幕僚監部に呼ばれてヘリコプターで防衛省に来ている。事故の事情聴取のためである。その一連の事情聴取に石破防衛相が参加している。その理由の中でこう言っている。「海上自衛隊側だけの事情聴取では誤解を招く恐れがあるので、文民統制の主体である防衛大臣として行った。」「事情聴取できちんと状況を把握するのは正当な業務」石破防衛相のそれは論理違いである。海難事故処理の秩序・常識として確保されなければいけないのは、第一に海上保安庁と海難審判庁の捜査・調査である。それは当然の事実である。今回の事情聴取は、その海難事故処理の秩序・常識を損なわせた独善行為である。防衛大臣が文民統制の主体であることはいうまでもないが、文民統制の基本は国民に対する公明正大性でなければいけない。防衛省・海上自衛隊が海難事故処理の秩序・常識を守るのはその一環である。また、石破防衛相は「事故事情聴取による状況把握は正当な業務」と言うが、順序が違うであろう。海難事故処理の秩序・常識を守った上でそれはやるべきである。それは当然できることである。石破防衛相の事故聴取とその釈明は独善を正当化するものであり、文民統制の確立と改革が叫ばれる防衛省・自衛隊に逆進性を与えるものであり、事実重大である。それは辞任に値する。石破防衛相、辞任すべし。




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