世界経済共同体党

死刑問題と、日本の100人以上の未執行死刑囚問題
 
   昨年9月25日に法務大臣鳩山邦夫の死刑自動化云々の発言が出て、12月18日には国連総会で、「死刑執行の停止を求める決議案」が採択された。その間、「死刑、是か非か」また、「日本の100人以上の未執行死刑囚と死刑執行問題」がクローズアップされたと思う。そこで、唯一神又吉イエスがその答えを出したい。

 最初に、法相鳩山邦夫の「死刑自動化論」であるが、それは法務大臣として、軽薄・無責任・逃げの姿勢である。

 次に二つのことについて述べる。

〔1〕「死刑、是か非か」の問題である。「殺人で殺されていく命を守るべき。殺人犯の命が死刑により断たれるべきは当然。」この命題の下に論を進めたい。

 2007年3月20日のホームページでも言ったが、殺人とは相手の人生の全てを奪うことであり、その量刑は死刑が正当である(2007年3月20日の記事を読んでください)。それは、人間社会の公平・平等の見地でもある。ここに死刑廃止論の立つ余地はない。

 そして、その死刑論が殺人をなくする道、殺人で死んでいく命を守る道である。「人を殺してはならない。殺せば殺される。死刑だ。」と、口を酸っぱくして一人びとりが言い、絶対の世論をつくる。そしてまた同じく、一人びとりを教育して、最大の罪・犯罪の殺人は防ぐものだ。人は皆、自由であり、自由な意志を持つが故に、死刑論によりそこまでのことが必要だ。それは当然、先ほどの「死刑の量刑の正当性」から来る。

 以上から、死刑廃止論者は死ぬべき命(殺人犯の命)は守り、守るべき命(殺人で死んでいく命)は殺す者、すなわち、間接的な殺人犯である。それは、死刑論を遂行しないという「やらない責任」である。

 裁判の誤判は、当然、あるまじき問題である。司法の義・正義と、その手法の極みにかけてあるまじき問題である。当然、そのようにしなければいけない。しかし、万万一その間隙をついて誤判が出るならば、それは、人間一人びとり・人類の運命共同体の問題となる。

〔2〕「日本の100人以上の未執行死刑囚と死刑執行問題」である。唯一神又吉イエスの〔1〕の論旨により、死刑執行は当然の法行為であり、行わないことが無責任であることがわかったであろう。これに照らして、解決すべき問題が次の問題である。

 2008年2月1日現在、未執行死刑囚が104人いる。これは刑事訴訟法475条1・2項で「死刑の執行は死刑判決後六箇月以内に、法務大臣の命令によって行う。」規定になっているにもかかわらず、各死刑の執行は判決確定後、平均して約7年半となっているからだ。述べている規定によれば、異常に多い数字と言ってよい。どうして、そうなったのか。次の2点が考えられる。

(1)歴代の法務大臣にして、死刑制度に対する確信がなかったからである。死刑制度が何であるかは、唯一神又吉イエスが〔1〕で述べた通りである。そのことに照らし、政府は速やかに刑事訴訟法の規定に基いて、未執行死刑囚問題を解決するように求めるものである。法務大臣が適切な責任遂行ができなければ、総理大臣は憲法68条2項により罷免すべきである。総理大臣には、その当然の責任がある。任命権者であり、国の最高責任者であるからだ。

(2)刑事訴訟法475条2項は次の通りである。「前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続きが終了するまでの期間及び共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。」この但し以下の付則の権利の濫用、すなわち、死刑執行引きのばし行為はないかのチェックが必要である。そうしなければ、三審制裁判の意義が損なわれるからだ。そのチェックを法的に確保しなければいけない。それは、述べている付則部分の法改正である。尚、その付則の権利から恩赦は除くべきである。既に述べている通り、殺人は人の人生の全てを奪うものであり、その死刑囚に恩赦を与えるということは、物のけじめをなくするものであるからだ。




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