世界経済共同体党

ドキュメンタリー映画中止の青山学院大へ物言い
 
   唯一神又吉イエスのドキュメンタリー映画の上映を中止した青山学院大に物言おう。再臨のキリストである唯一神又吉イエスを、青山学院大が受け入れないと言うなら、大学は「キリスト教信仰にもとづく教育機関」の看板を降ろすべきである。何がキリスト教信仰にもとづく教育かということだ。青山学院大は詐欺であり、もぬけの殻であるということだ。青山学院大が何故そうなるのか。一口で言うと保身である。何の保身か。金からの保身である。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済の金からの保身である。全ての問題はそこにある。そうなると、不正や退廃に対して、青山学院大・教授ら・職員ら・学生らが、見て見ぬふり・精神薄弱的で事実や責任を知らない問わない・図々しい・ずるい・狡猾(ずる賢い)等の者になる。自らがそうであるのに、どうして青山学院大が日本・世界に対して、「地の塩・世の光」(大学の理念にある。)となり得るのか。述べて来たこの経路・過程を通して、不正・退廃・罪・犯罪が学内に起こり、学外の社会に対しても、それを防ぐ術を持てないということだ。すなわち、唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済の金・不正・退廃・罪・犯罪の中に、青山学院大は埋没し死んで行くということだ。唯一神又吉イエスが言う「自己中心・好き勝手・やりたい放題」を止められない民主主義に対しても同様である。そういう青山学院大は、唯一神又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである。

 青山学院大の教育方針に真実と真理という言葉はあるが、正義という言葉がない。不正・退廃・罪・犯罪を防ぐためには、正義という言葉が絶対に必要だ。そして、正義とは不正・退廃・罪・犯罪を防ぐために、何をどこまでしなければいけないかの必要性を満たさなければいけない。唯一神又吉イエスの責任追及の「腹を切って死ぬべき。」はそれである。青山学院大が唯一神又吉イエスを受け入れないと言うなら、述べて来たことからして、必ず直接・間接に人の死にまで繋がる。物の論理とは、そういうものだ。よって、唯一神又吉イエスを受け入れない青山学院大の関係者らは、他人を殺す者であり、腹を切って死ぬべきだ。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然であるからだ。この論理がわからなければ、唯一神又吉イエスが造った人類として、低脳であり無責任バカである。当然、青山学院大がそうである。
 



<トップページへ>