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量刑の問題として死刑が正当であるのに、死刑制度を廃止してそれをしないならば、直接・間接に悪影響が出る。例えば、農具の鎌などを持っていたために、憎しむ相手を衝動的に殺したとしよう。このときに、人を殺す者は殺されなければいけないということ(故意の殺人犯は全て死刑になる死刑制度)がわかれば、そういうことにはならない。死ななくてもよい人間が、殺人のために一人でも死ぬようなことがあってはならない。死刑廃止論者はそのことを忘れているのではないか。また、死刑は人間を殺すことではない。それは、しなければいけない法律に基づく当然の裁きである。
先に、「殺人犯は、全て死刑になるという、死刑制度があれば」と言ったが、その通りである。故意の殺人は全て死刑に該当する。理由は次の通り。(1)殺人とは、相手の人生の全てを奪うことであり、その報いは死でなければいけない。すなわち、殺人犯に対する相応の刑罰は死刑である。述べている通り、殺人とは相手の人生の全てを奪うことであり、そういう殺人犯に情状酌量の余地はない。それは、「もののけじめ」というものである。(2)心神耗弱者・心神喪失者というが、殺意があるので人を殺している。当人に責任があるのは当然。殺人犯としての責任を問うべきである。(3)少年による殺人も例外であってはならない。例外にする理由がないからである。少年であっても殺人は殺人であるということである。
以上、述べている死刑論は、死刑を見せしめにして殺人を防ぐということではない。見せしめという事象はあってはならないことだ。そうではなく、述べている通り、「故意の殺人は全て死刑に該当する。」という真実・真理・正義を行えばその結果が出る、行わなければ出ないという論理である。
尚、裁判の誤判は、司法内容の充実性確保・被告人本人の意志等により、また、アリバイ存在の通常性が確保できる健全な社会にして防がなければいけない。アリバイ存在の通常性が確保できる健全な社会とは、唯一神又吉イエスの世界経済共同体日本・世界経済共同体である。
更に言うが、婦女暴行罪は死刑が正当である。それは女性の人生を殺すに等しいからだ。
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